この前、Liveの中でもお話したけれど。
「論理的」に考えて、鶏と卵、どちらが先か?
(生物学的に考えると、また別のお話になってしまうので)
んで、答えは「鶏」なんだそうで。
○鶏は、卵を産んだことを単体で証明できる。
○卵は、鶏になることを証明できるが、鶏から生まれたことを単体では証明できない。
消去法で導き出した屁理屈みたいな感もあるけれど。
ま、こんなお話をはさんだ上で。
自我についての続きに参りましょうか。
現在、「人工知能」を創り上げるプロジェクトがいくつか走っているとか。
それにはいくつかの指標…「これは知能である」と決定するためのもの…があるそうで。
その一つに「チューリングテスト」がある。
チューリングテスト
「機械は考えることができるか」という問いに対して 1950年にチューリングが唱えた検証法。二つの部屋の一方に質問者,他方に機械または人間を置き,端末を通した対話によって質問者に相手の素性を当てさせるテスト。これにパスした機械を「考える」とみなす。
三省堂提供「デイリー 新語辞典」より
というものなのだが、これには面白い反証があった。
それが「中国語の部屋」だ。
中国語の部屋
中国語の部屋とは、ジョン・サールによって出された、チューリング・テストでは機械を人工知能かどうかを判定できないとするたとえ。
ある部屋の中に英語しか話せない人を閉じこめておく。この部屋の中には閉じこめられた人と筆談の道具、そして、中国語の質問用の文章とその回答用の文章のあらゆるパターンが完璧に書かれた対応表のようなものがあるとする。
中国人が、あることについての質問を書いた手紙をこの部屋の中に入れる。すると、部屋の中の人は、対応表と質問の文章を見比べて、一致した場所の回答用の文章を手紙にして部屋の外に出す。すると、部屋の中の人は、全く漢字が読めなくても、全く文章を理解できなくても、対応表どおりの回答を手紙に書きさえすれば、部屋の外の中国人と完璧な対話ができるのである。そのため、部屋の外の中国人は、実際にはそうではないにもかかわらず、「部屋の中の人は中国語を理解している。」と勘違いしてしまう。
このように、中国語のやりとりが完璧に行えたとしても部屋の中の人が中国語を理解しているかどうか判定できないのと同様に、いくら知能を備えているように受け答えが出来たとしてもその対象が知能を備えているかどうかをチューリング・テストは判定出来ない、とサールは主張した。
ウィキペディアより一部抜粋
しかし、これもまた完全な反証とまでは至らなかった。
続きを紹介していくと…
しかしこのたとえを厳正に考えると、チューリング・テストにおいて判断されるべき対象にあたるのは、中にいる人、という一部分ではなく部屋全体である。 すなわち、このたとえでチューリング・テストの無効性を主張するためには「部屋全体としても中国語を理解していない」ということを証明していなければならない。
ウィキペディアより一部抜粋
とある。
オンラインゲームをプレイしている文字チャットの相手が、人工知能であったとしても、実は、意外と気がつかないんじゃないかな、なんて思ったり。
もしかして、そんな相手に恋をしちゃう、なんてことも起きてくるのかもしれない。
今でも、オンラインゲームで恋をする高校生、なんてのもいるくらいなんだから、ね。
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