2005年10月27日木曜日

 魔王 伊坂幸太郎



重力ピエロから始まって、「死神の精度」まで、伊坂幸太郎氏の本は一通り全て読んでいる。


テンポのいい、それでいて時折深く切り込んでくるテキストは、読んでいて気持ちがいい。


今回、発行された「魔王」は、小説現代の別冊「エソラ」に所収された二編を再構成したもの。


現代より少し先の未来を描いた作品だが、作中で描かれている若き政治家がTV番組中で語る言葉に心が動いた。


老獪な政治家との対談の中で「日本という国をどうするつもりなのか」と問われた若い政治家がこう応える。


「今、この国の国民がどういう人生を送っているか、知っているのか? テレビとパソコンの前に座り、そこに流れてくる情報や娯楽を次々と眺めているだけだ。死ぬまでの間、そうやってただ、漫然と生きている。食事も入浴も、仕事も恋愛も、すべて、こなすだけだ。無自覚に、無為に時間を費やし、そのくせ、人生は短い、と嘆く。いかに楽をして、益を得るか、そればかりだ。我慢はせず、権利だけを主張し、文句ばかり、私は、それを自由と呼んで、大事にしておくべきとは感じない」


伊坂幸太郎「魔王」より引用


ストーリーとはなんら関係のない一文ではあるが、妙に心に残った。


リアルとアンリアルの狭間の中で進行していくストーリーを追いかけ、没頭していく自分と、ストーリーの中に広がる社会と今の日本をどこか醒めた目で比べている自分とが交差していく、そんな感覚に浸った。


そういえば、ある批評家がこんな事を言っていた。


「フィクションのストーリーの中で許されるフィクションはひとつだけだ。そのひとつのフィクションをいかに上手につづけるかが、ストーリーテラーの腕だ」


「魔王」の中で、ひとつだけ大きな嘘がある。


その嘘は、最終的にストーリーを包み込む大きな流れとなっていく。


ここ数年で精力的に出版を続けている氏は、着実に読み手を増やし続けている。ただ、いろいろな意味で伊坂幸太郎の本を初めて読む、という人にはあんまり勧められないとおもう。


まずは、「死神の精度」あたりから読んでみるのがいいのでは。


最後にもう一つだけ、引用。


インターネットによる伝達はすさまじい。人の揚げ足を取り、弱みに付け込み、誰かが困惑で死にそうになるのを喜ぶ者たちが、インターネットを操っている。


伊坂幸太郎「魔王」より引用


インターネットを使って食い扶持を稼いでいる自分としては、真の意味でそうだとは思わない。


しかし、そういう側面があることも事実だし、それが「インターネットコミュニティ」のひとつの顔でもある。


いろいろと「考えなきゃならないな」と思わせてくれた一冊。





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