2006年2月15日水曜日

悪いことをしていないのが良いことです(か)






「世界人類が平和でありますように」と筆で書かれた看板を最近目にしなくなった。


ちょっと気になって調べてみたら、あれは五井昌久氏の提唱した「五井の祈り」をもとにして、World Peace People Society(WPPS)が世界で推進しているものだという。


英語では“May Peace Prevail on Earth”になるのだとか。


元が宗教だ、というだけでうさんくささを感じる人もいるだろうけれど、それはそれ。彼らの活動は少なくとも自分よりは「社会の役に立ってる」んじゃないかな(少なくともWebを散見した程度では)。


話を戻す。


「木を見て森を見ない」という慣用句がある。


説明するまでもなく、視野狭窄に陥っている人間を諭すもの。


しかし最近は「森を見て木を見ない」、つまりは大事を為すがために小事をおろそかにして、結果その小事が原因で大事の足下をすくわれることが増えているような気がする。


無論、「森と木を同時に見る」ことができればそれにこしたことがないが、なかなかどうして、それがうまくいかないようで。


情報量と情報享受者の増加によって、人々に情報が多く、広く伝わるようになり、その情報の伝達段階で「些事」が「大事」に変化していってしまっているのかもしれない。


特に「自分たちにとってオモシロイ」ことと「自分たちにとって不利益が生じる」ことについての情報伝達速度は10年前の比ではない。


情報が公共のものであった時代から、誰もが情報を発信できる状態、しかも「今自分が世界に情報を発信している」という自覚すらないまま情報をデータとして、つまり劣化しないものを垂れ流す状態がどれほど危険なのかも考える必要があるだろう。


ここらへんについては、いろいろとまだ考えをまとめていかないといけない場所なので、また改めて書いていきたい。


しかし、このところ社会の器量がどんどん狭くなっているような気がしてしまうのだが、気のせいだろうか。


森を持続させようとして、その次代を担うべき木々を健全に育てることをどこかに忘れてきてしまっているような。





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