2004年10月5日火曜日

聞きかじりの書道談



猟犬先生にばれた(前日コメント参照)ので、続きをすこし。

今回、森大衛さんにお会いすることになったのは、このところの出会いの流れと同じように、鉄騎。

正確には、8月にコミケ後の打ち上げでとある音屋さんとの会話で、「鉄騎の題字を揮毫したひと、お知り合いですよ」ということで紹介してもらったのがきっかけとなる。

実際「書家」なんて方と話すなんてことはおろか、会ったことすらもないし、習字の授業も遊んでばっかりだったおいらにとっては、未知の世界にいる人なわけで。

話をしてみると、アーティストとしての面と、クリエーターとしての面、両方を持つ方…つまり、突き詰めようとしている道は違うけれど、やろうとしていることはおいらたちとそうそう違うものじゃない、ってことに気がつく。

つまり。

乱暴にくくってしまうと、「ものを作りたい」という純粋な気持ちと「お金にしなければ」という焦燥感を持っている、ってところで似ているな、と。

ただ、大きく異なっているのは、おいらたちはデジタルな場所にいて、森さんはアナログな場所にいる、というところ。

デジタルって、とてもとても極論だけれど、トレースができる。アンドゥができる。「ここまではよかった」のなら、そこまで戻れる。「あのときのアレがほしい」なら、いつでも取り出せる。

アナログ、つまり筆で紙に書く、という作業では当然ながらそういうことはできない。一期一会の勝負となる。

どちらがいい、どちらが悪い、という議論ではなく、事実としてそういうことになる。

そのスタンスの違いがこれからどのように広がっていくのかはわからないけど、少しでも溝が埋まっていったら面白いな、と思う次第。

さて。

「書道」と「習字」って道具はほぼ同じだけれど、目的は違うんだな、とか。

書道の世界でも、派閥とかグループってのは存在するんだな、とか。

もうちょっとおいらも審美眼を養わなきゃな(書を見て、好き嫌いだけじゃなくて、いいわるいを判断できなきゃね)、とか。

そういうのを考えてみました。




今週末に東京で個展を開かれるとのことなので。

タカギさん、行くわよ。




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